松」の名で知られる松岡醸造は埼玉県の中部、小川町にある。全国新酒鑑評会 金賞の8年連続での取得(県内記録)や IWC 大吟醸酒の部 GOLD メダル(2018年)など華々しい受賞歴を持つ県内でも有数の酒蔵だ。小川町は今でこそ人口30,000人ほどの町であるが、古くから絹織物や和紙を中心に産業が発展していた地域であり、以前は近隣に25の蔵が揃う“関東灘”と言われていた一大酒処でもあった。現在でも小川町には松岡醸造を含め3つの蔵があり、当時の面影を残している。30,000人程の町に3つの酒蔵が残っている地域は現代に於いて非常に珍しい。
 松岡醸造の歴史は古く、江戸時代 嘉永4年(1851年)まで遡る。前述のとおり交通の要衝であることから人と物が多く行き交い、非常に活気に溢れた場所でもあった。同時にこの地域には酒の仕込みにかかせない良質な水源もあり、まさに酒作りにうってつけの場所でもあったのだ。現在は江戸時代から使い続けている“旧蔵”と近代的な設備を備える“新蔵”の2つの蔵で石高1,000石もの酒を製造している。
 特に平成8年に建てられたという“新蔵”には目を見張るものがあった。現在松岡醸造の酒作りに直接携わる蔵人はわずか4人。実はこの4人で1,000石もの酒を醸造するのは通常では考えられない程大変なことなのだ。少人数で酒作りを行うには“酒自体の価格を上げないため”や“菌への接触リスクを減らすため”など幾つかの主たる理由があるが、この新蔵、その少ない人数を逆手に取り実に動線が素晴らしいのである。“人が行うべきところ”と“機械にできること”を明確に分類し、“冷却”と“運搬”の2つの工程のみ完全に機械化しているのだ。いずれも人間ができない、人間が行わずとも良い、機械の方が一定化できるという判断からだが、少数精鋭の酒作りに於ける非常に合理的な解釈を見ることができた。
 もうひとつ松岡醸造で特筆すべきは水である。地下130mから組み上げる地下水は超硬質であり、その水は同時に蔵の命でもある。辛口の酒から甘口の酒まで非常に幅が広く、口当たりの良い酒を作ることが可能となっているからだ。
 「日本酒があまり得意でない女性が蔵見学に来た際、うちの酒を飲んだら日本酒の印象が変わったと言われるケースが多いんです」と専務の松岡 奨氏は話す。人懐っこい笑顔が印象的だが、酒に対する思いの語り口は非常に芯の強さを感じる。「まずは蔵と酒を知ってもらうために蔵に来ていただきたいです」と前置きをしたうえで「蔵の雰囲気を味わいながらゆっくりと過ごしていただければ、酒の感じ方も変わってきますよ」と話してくれた。実際に松岡醸造には季節それぞれに数多くの酒があり、その人それぞれの肌に合う1本が必ずある。それを探してみるのも楽しい時間なのだ。私自身も以前に数本飲んだことがあったが、取材の最後に試飲した中に更に好きな1本を見つけることができた。これは蔵見学者の特権ともいえるだろう。
 また松岡氏は「酒だからといってそのまま飲まなくても、ロックにしたり炭酸で割っても問題ありません」という非常にフランクな姿勢を見せてくれた。私のような酒好きにとって“日本酒をどう飲むか”という議論は往々にして平行線を辿るが、曰く“酒とはもっとフランクなもので良い”という。「思考が固執化した中で飲む酒やその形が、これから飲んでみようかと思う人のポジティブな気持ちを阻害している」という胸の内も話してくれた。松岡氏の決意が表れた印象的な瞬間があった。今後松岡醸造はどういった酒でどういった方にアプローチしたいですか、という問の時だ。「日本酒の中にも色々なジャンルがあって手に取りやすくなっているのも事実なので、本当に酒を色々な人に飲んでもらいたい。でも造り手としてはジャンルに振り回されず“日本酒”で勝負していきたいです」
 この強い思いこそが少数精鋭の酒作りの真髄なのかもしれない。これからの“帝松”から一層目が離せなくなった。

▲今回最後に試飲させていただいた松岡醸造を代表するラインナップ。定番酒から挑戦的な酒までジャンルの幅は広い、私自身も新しい発見があった

▲今年最初の純米酒のばら粕。心地よい酒の香りがする。近年の酒粕ブームの波もあり発売早々売り切れてしまう人気商品だ

▲当時酒米を蒸していた煙突は今では避雷針として活躍している。2011年の東日本大震災でも無傷であった、小川町は地盤が強く地震に強い町なのである

▲近代的な“新蔵”内部。非常にクリーンな印象を受けた

▲当時税務署職員が常駐していたという検査室。内装は非常にモダンな造りであり当時の床暖房や高火鉢、お昼は鰻が出るという優遇ぶりであった

▲表紙に“酒”と書かれた戦時中のお酒に関する本、刊行は大正13年。国が日本酒を推奨しており非常に貴重なもの。第一項目:禁酒国は滅びる / 酒は労働者の生命なり などと書かれている

▲まるでこの部屋の中だけ時間が止まっているかのような感覚を受ける。この部屋全体が博物館のようでもある

蕪櫂(かぶらがい)を持つ松岡専務とともに。バックの旧蔵では熟成酒や松岡専務直々の挑戦的なお酒が醸造されている
今回ご対応いただいた松岡専務。時期代表だが当初は酒作りを継ぐ予定はなく、学生時代はパンクロックがひたすら好きだったという

帝松 松岡醸造株式会社

〒355-0326
埼玉県比企郡小川町大字下古寺7-2
TEL:0493-72-1234
FAX:0493-74-1010

取材&文:
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  野口万希子

株式会社「 5TOKYO」 代表取締役
利き酒師 / プロデューサー
「日本の伝統とトレンドを人間の五感で繋ぐ」をテーマに、和酒を中心とした様々なイベントプロデュースやコーディネートを手掛ける。